2017年08月26日

[41] 柳さんと楊(ヤン)さん

家族のスケジュールもあわず、仕事もギュウギュウのこの夏、
とくにバカンスとはいかなかったが、実はひとつだけイベントがあって、
こんな写真を撮ることができた。

salix.JPG

写っている人の大きさからわかるように巨大な柳の樹である。
樹齢は100年を越しているだろう。
北海道大のキャンパス内の光景である。
実は、高校二年生になる息子が、北大のオープンキャンパスに行きたい!!
と言い出して、急遽、GHSの土曜の授業後に、東京駅で待ち合わせ、
羽田から札幌に飛んで、日曜日の夜に長野にもどってくる
という強行軍に及んだ。仕事などで北海道を訪ねたのは、
これまで冬ばかりだったので、爽やかな広い空の北の大地を堪能できた。

さて、本題。
「柳」と「楊」はともにヤナギだということをご存知だろうか。
つまようじは、「爪楊枝」と書く。
つまり元々はヤナギを削ってつくったものだ。
(ただし昨今目にする「ようじ」は違う木がほぼ100%)
なぜ、おなじヤナギに二つ漢字があるのかというのが最初の問題。
学名.JPG

樹に接近すると、さ〜すが、ちゃんと学名が書いてある。
「サリックス・バビロニカ」と読める。
私たちが普通に目にするしだれ柳の学名である。

これに対して、西洋シロヤナギ(White willow)というのがあり、
学名をsalix albaという。こんな感じの樹。
salix alba.jpg

もっともヤナギというのは世界中に何百種類もあるらしく、
写真一枚きりで語るのはどうかと思いはするが、またとにかく違うらしい。

どうして、そんなにヤナギに思いを寄せるのか?というのが次の問題。

実は、このsalix albaの樹皮から抽出されたのが「サリシン」である。

そして、このサリシンから、「サリチル酸」が単離され、やがて、
「アセチルサリチル酸」すなわち‘アスピリン’という解熱・鎮痛薬の
人工合成に成功することになる。1897年のことである。
人類初の人工合成薬のアスピリン(独・Bayer社)は、
世界一売れた薬としてギネスに登録されている。

ヤナギは、古代ギリシアの医聖ヒポクラテスの時代から、
生薬として鎮痛作用が知られており、その中で選ばれしヤナギが、
salix albaだったのである。
当然に、これで楊枝をつくれば、歯痛の鎮痛になるわけだ。

もっとも今は、ヤナギ楊枝は高級贈答品扱いだし、歯痛のときは、
そんな一時しのぎに頼らず、歯医者にいくことを勧めるが……。

今や「柳」といえば、井戸の側のユーレイの背景アイテムと化してしまっているが、
実は、このサリシン等の生理活性作用によって、ヤナギの生命力は極めて強く、
古来ヤマトより、早春の青柳は、春の息吹きの先駆けだったのである。
強固な根を張ることで、水辺に植樹され、土手を守ってきた。

『医大受験』の医薬エッセイ連載では、こんな話を綴ったが、
北大の、ケタ違いに大きなsalixに出逢って、その生命力を再感した次第である。
posted by Kyuzen Ichikawa at 12:04| 漢字の由来と派生

2017年05月31日

〈40〉磁石と滋賀県

電磁気力学の窓
GHS体系物理の授業は、力学・熱力学を終えて、6月から電磁気力学へと進む。
1学期の間に、高校物理のすべてを体系的に再履修するカリキュラムである。
他の予備校のように(?)高校時代の履修を前提とした演習授業はしない。
土台のないところに種を蒔いてもろくな収穫しか得られないからである。

さらにGHS長野校では、個別指導をしているので、高校3年生にそんな授業を行っている。
ある高3生(一応東大志望)は、波動(力)学も終えているので、電磁気力学があと二回程度でおわり、
一応、高校物理の体系的履修が修了する。実に、羨ましくもある高校生活である。
そんなGHS体系物理のテキスト(HPで公開中)には、イントロ部分に、
磁気とは何かの流れで「磁石」の話が出てくる。
もっとも、静磁気そのものは入試ではほとんどでないので資料的な扱いとなる。

さてさて、なんとも長い前置きだったが、ここからが漢字の話である。
素朴な疑問、“ 磁石の「磁」って、滋賀県の「滋」と似てるね? どうして?” という話。

磁石の「じ」
実は、磁石の「磁」は、同じつくりの、慈悲の「慈」につながる、という説がある。
昔々、中国に「慈県」(ツィーシェン)という鉄鉱石、磁鉄鉱の産地があったそうな。
なんでも、その石は、他の石を引きつける不思議な力がある。それはまるで、
仏が慈悲でもって、人を引きつけ、あるいは母が子を慈しむようだということで、
磁石(ツーシー císhí.)と呼ばれたと。すでに中国に慈県は存在せず、この説に確たるものはないが、
漢字の話としてはマル適である。

ちなみに、マグネットのもととなったいわれるギリシアのマグニシアの地名は今も実在する。
曰く、

磁石を意味する英語の「マグネット」(magnet)は、
 Magnesia.jpgギリシャ語で「マグネシアの石」を意味する
 「マグニティス・リトス」(μαγνήτης λίθος)
 に由来するという説がある。
 この地域では鉄鉱や磁鉄鉱だけでなく、
 マグネシウムやマンガンが産出されることが、
 古くから錬金術師達に知られていた。
 [https://ja.wikipedia.org/wiki/マグニシア県]


磁石、洋の東西を問わず、というところか。

滋賀と茲
 そこで滋賀県の「滋」であるが、これは例によって、表音文字である。
滋賀の由来については、諸説あるが、元々は帰化人の「志賀」一族の住んだ地である。
志賀直哉、志賀潔、そして長野の志賀高原も、この一族とつながりがある。
古代よりこの一族とそれにかかわる地名等は、「志賀」「志我」をはじめとして、
「之加」「之賀」「思賀」「思香」「思我」「四可」「四賀」「然」などと
表音表記されてきた歴史がある。
そして、明治廃藩置県のときに、「滋賀」という漢字を当てた。
では、「滋」とは?
そのつくりの旧字体がである。
「シー」という表音文字で、此、是、斯と同系音として、
指示代名詞に転用され、「これ」と訓読し、また、指示副詞として「ここ」と読む。
    「茲に」=ここに=hereby
この代名詞用法はかつて、センター試験にも東大理系の漢文にも登場したことがある。
『漢文解析』の読者は、代名詞の項に追加しておいてもらいたい一字である。
posted by Kyuzen Ichikawa at 16:38| 漢字の由来と派生

2017年04月30日

〈39〉『漢文解析』は一部の人のために

 『漢文解析』は東大理系受験生への“応援歌”
 今年も新学期を迎え、新たなスタートを切った。
とはいえ、物理と化学のクラスを分け、体系化学は1,2,3としたものだから、
(体系化学blog参照のこと)、漢文をレギュラーでやるコマがとれなくなった。
そんなこんなで開店休業状態の「市川商店」であるが、(その分bolgも休止・・・)
夏期の早いうちに集中授業をする予定である。
それまでにGHS生には『漢文解析』を精読・熟読しておいてもらい、
ライブの漢文授業に満を持して望んでもらいたいと思っている。
 ただ、それまで何もしないのも忍びないので、例の『漢文句法基礎ドリル』の指導を、
目下、漢文解析における最高弟であるGHS田川講師に任せているところである。

田川先生は、京大の理学部卒であるが、学問のあらゆる分野への興味は尽きず、
化学・物理はもちろん、直接は2次試験にない漢文の授業も嬉々として受講していたのが、
ついこの間のことのようだ。・・・そう、『漢文解析』は彼のように、理系ながらも、
漢文に興味をもち、漢文の精神世界に憧憬を抱く人のために書かれたものである。
それは、文系出身でありながら、理系へと進んだ私でなければ書けないことがあるから、
そして、「あとがき」に書いたように、ドイツ語・中国語など諸ヶ国語を学んでから、
理系受験生となった“カブキ者”であってはじめて見えた風景があったからである。

だから!! いやいやながら、センター試験にでるから仕方なく漢文を学ぼう、
できれば最小限の時間で、要領よく満点がとれればいいな・・・という心映えの者には、
『漢文解析』は1ミリも響かない。当然である。
もっとも、最初はそういうところからはじまっても、やがて漢文への学びに心が赴き、
しかしながら、その非論理性に違和感を覚えつつ、努力を続けてきた人への、
“溜飲の書”たることを企図している。胃薬でいえば、PPIレベルといえようか。

ご存知のように、理系ながらに二次試験国語の1/4の配点で漢文を課す見識をもつ東京大学を
(注:すでに述べたように名古屋大学も医学部には漢文を課す)目指すならば、
古文はもとより、漢文は避けて通れない。避けて通れないものならば、
堂々と雄々しくど真ん中を闊歩すればよかろう!! 
そんな、私が受験生のときの信条に共鳴できる者だけに響けばそれでよい。

安易に学んだ漢文なんぞ、その後の人生に何の役にも立たちはしない。時間の無駄である。
ーー直接役に立たないことは受験勉強には多々あるが、漢文だけは一生モノであるーー

『漢文解析』はそんな意味で、各人の漢文への向き合い方を映す「手鏡」でもある。
posted by Kyuzen Ichikawa at 11:18| 漢文解析事始

2017年01月26日

〈38〉白石って、どうよ

今年のセンター試験、フタを開けてみたら、あれあれ、
新井白石の日本漢文ときた。
これには、賛否両論のようである。

今の日本人だって、医学部でも英語で研究論文を読み書きするのが普通である以上に、
聖徳太子から江戸時代に至るインテリ和人が、漢文を受容しさらに駆使し、
漢文で書物を著すところまで自己化していた。白石の漢文は、そのほんの一例である。
かつては追試ながら、頼山陽の漢文の出題があった。
また、私の手元には、私立大の出題であるが、かの水戸光圀の漢文なんてのもある。
その意味では、和人の漢文だろうと、本場中国の漢文だろうと、遜色はないのであるし、
漢文受容の歴史から言えば、そういうのもあっていい、とは思う。

『白石先生遺文』の冒頭、まえがき的な部分。内容は比喩的評論文であり、こういう論理性を
和人は漢文で表現できたのだと知るのには良い資料だが、展開も設問も「漢文らしくなく」、
個人的にはどうも面白みに欠ける。
こういう抽象論は、東大の理系の二次あたりで記述式で出せばいいんじゃないか、と思う。
だって、漢文のネタは古文とちがって、それこそ無限にあるわけで、もっと理系にとって優しい素材を
探してほしいものである。まあ、漢詩文の出題よりも、これはハレー彗星のごとく、
中々お目にかかものではないだろうから、記念碑的に、解析にとりかかっている所である。
……授業では使えないかなあ・・・来年東大受験生がいたら、改作して使うかな・・・・等々。

posted by Kyuzen Ichikawa at 10:41| 閑綴帳

2016年12月30日

〈37〉 平成二十八年 回顧

GHSでの今年の授業を振り返ってみたい。
前期は、第1回〜11回まで、週一回60分の授業。
ホントウは物理や化学の時間までもずーっと漢文をやっていたい
というのが本心ではあるが、社会常識的には、このくらいの軽目のスタートがよい。

この間は、GHSのHPのテキスト公開コーナーにもアップしてある
「漢文基礎句法ドリル」テキストにそって、「漢文単語50」を5つ位ずつ紹介しながら、
ドリル1〜8をこなしていくメニュー。この間に『漢文解析』の読書を課した。

7月に入ると、時間は80分に拡大。最初の20分は、実際に過去問を解いて、
その後に解説。ものによっては解説は二週にわたるこもあるが、このスタイルが、
第12回〜25回まで続く。そして12月内で終了となる。
この間に、扱う過去問は11題。漢文の解析例としては充分な数と思っている。
また、漢文の精神世界と、漢文世界の地理とを知り、ひいては我々和人にかかわる
漢文の伝統を知るには適切なボリュームである。
年間授業計画とテキスト・解説のデータ化はほぼ終了しており、
GHSの独自カリキュラムとして確立したのが、本年の収穫であった。

ここからどこへ行く?「同じことを教えるようになったらエンドだ」と
言っていたではないか?との熱心な読者からの声も聞こえそうである。

センター試験はすでに30数年の歴史があり、本試・追試をあわせると
その倍の過去問があるわけで、趣味(?)としては解析例を増やしていき、
生徒の独習に供する作業はつづけたいし、漢文句法ドリルは、実はまだ、
前半部分でとまっていて、後期の授業で実戦的にとりあげる句法についても
ドリルをつくっていきたいと思っている。
・・・・・時間があればだが。ご存知の方には繰り返しになるが、
本業に加えて、物理や化学のあれこれがその時間に食い込んでくるので、
もどかしい。せめて来年は、漢文の愉悦に浸る時間がもう少し取れますように。
posted by Kyuzen Ichikawa at 03:29| 閑綴帳

2016年08月24日

〈36〉「学問の自由は、これを保障する」

主語と述語を巡って
 日本国憲法の第23条には、「学問の自由は、これを保障する」とある。
それでは、
   学問の自由は、これを保障する。
という文の主語はなんだろうか?という問いを立ててみよう。
 そう、主語は「学問の自由は」であり、述語は「保障する」である。
10人中9.9人(プロレスでいう2.9カウントみたいな)はこう応えるものである。
それは、中学時代に学ばされる国文法の名残りであろうし、
その枠にとどまっている限り正しい捉え方である。
 しかし、その枠から一歩出ると、それでは「漢文」の文法解析が
できないことに気づくべきである。
「・・・は」「・・・が」がつけば主語という単純な図式は、漢文には通用しない。
そんな格助詞は漢文には元々ついていないからである。
 人間としての認識構造から問いかければ、「保障する」の主語は、「国家」である。
それが「学問の自由」を「保障する」のであるから、SVOの第3文型である。
ただし、学問の自由がここのテーマであり、それを強調したいので、目的語を先置し
   学問自由保障之也
とするのである。
 漢文の例でいえば、
   時難得 而易失  「時は得難く、失い易し」
 英語でも  Time is difficult to get ,but easy to lose.
という同義的表現はあるが、これは
 It is difficult to get time,but it is easy to lose it.
を簡易化したものである。いずれも主語は「時」ではない。

かくして、目的語を強調するために OV+仮目的語 という順にならんだ漢文訓読調が
そのまま日本国憲法の条文に使われているわけである。

そこで、いいたいことは二つ。
一つは、「・・・は」「・・・が」がつけば主語とは限らないということ。
今一つは、「述語」という曖昧な文法用語が、この事実を覆い隠すに
一役買っているのを再発見すること。
 述語なんていう言い方は、認識構造としての文型把握を邪魔する存在でしかない・・・・・・
と気づけば、漢文の文法解析がまた愉しくなるものだ。

 ちなみに、
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第29条 財産権は、これを侵してはならない。
・・・・・・
などもある。
posted by Kyuzen Ichikawa at 22:52| 漢文法補筆

2016年06月30日

〈35〉 「且」という文字?

前回、未来時制助動詞をとりあげたので、その流れで、
おなじく「まさに・・・とす」と訓読するについて述べよう。

まあ、率直なところ和人には「且」が漢字には見えない。
音読みを問われたら困るであろう。
音は「ソ」である。?? でも、
祖先、租税、地租、粗雑、骨粗鬆症、壊疽、齟齬、
阻止、俎上、荻生徂徠・・・と書けばなーるほど〜と思うはず。

では、その「ソ」がなぜ未来時制の助動詞と同義になるのか?
というのが今回の謎解きであり、『漢文解析』には説かなかった部分である。
ご存知のように、は別の訓読で「かツ」とも読む。
数学でいう「かつ」と「または」の「かつ」は、昔はこの漢字で書かれた。
するとナゾは深まる。未来時制と両方取りの「かつ」がどうして同じ字なのか?

そこで漢字の成り立ちを紐解いてみよう。
これは「供物台」の象形であるといわれる。
供物台というのは、イメージ的には仏壇の前にある

供物台.tiff供物台.tiff供物台.tiff供物台.tiff供物台.tiff供物台 のコピー.jpg

である。この机の形は、中国由来らしい。
中国で祖先を祀る祭礼に供物台として用いられた。
つまり、
   祭礼の「示」+供物台= 祖
である。この二本の並行板の上に供物(肉)が乗せられている図が
の成り立ちであるという。
その並行板は二つのものが並ぶ象徴的イメージとなり、
は、「並行物」をあらわす表意文字へと転化する。
それが「かツ」である。

そうすれば、あと一息であろう。
現在と並んでいるのは近未来である。
時制の助動詞に転用されるには、時制的パラレルのイメージとともに、
音がポイントである。「ソ・ショ・ジョ(助)」と音に幅はあるが、
サ行の音であることには違いない。そして、
の代用字として用いられていった・・・・そんな想像をしたくなる。
posted by Kyuzen Ichikawa at 11:28| 漢字の由来と派生

2016年05月30日

〈34〉「将」という時制

単純未来と意志未来
漢文の時制、とくに未来時制について考えてみたい。
その代表はである。「まさに……とす」
ご存知のように、英語には、単純未来と意志未来があると教わる。
ならば、たとえば、
  始皇帝 将死    
はどうであろうか?
「自分の意志で死んでいくわけではないから、単純未来かな?」
答えは否である。「意志未来」である。
もっとも、漢文的「意志未来」であるが。

いや、そもそも英語の「単純未来」ってなんだよ!!と
素朴な疑問をかつて抱いたことはなかったかな?
「意志未来」の反対語は「無意志未来」であるはず。
「意志」の反対がなぜ「単純」か? 
    It will be fine.
のような自然現象は人間の意志と関係ないから、
「意志なるものは介在しない」という含意で「単純未来」と
いうのであろう。
いや、これは東洋と西洋の大きなちがいが背景にある。
そこに気づくのが漢文の学びである。
西洋にキリスト教の神は全知全能なれども、
天気ごとき瑣末な自然現象をいちいちコントロールはしない。
創造主は、理性が支配する、合法則的な宇宙を作り上げたのちは、
その法則にしたがって、自然は動き続けるのである。

ところが、和人は、明日の遠足にもてるてる坊主をつくる。
雨乞いの名残りで、お祈りをすれば雨が降ることもありうる、
千変万化な自然の中にいるからこそ、意味をなす行為である。
端的には、サハラ砂漠で雨乞いをしても笑止ということだ。
そういう気候なのだから、祈りは無駄なのである。
西洋で有効なのは、むしろ日食や月食の予言者の方である。

東洋の、そして日本の神々は、生活のあらゆる場面を支配する
意志をもつ。だから、受験生は学問の神様とやらにお守りをもらい、
小さい子供でさえ、迷ったときには
「どちらにしようかな、天の神様のいうとおり・・・」
とやる。ウチの娘がどらちのシャンプーを使うかごときで「神様」に聞く。
「そんなことをいちいち聞きとどけて判定しているとすりゃ、
こりゃ神様も忙しくてたまらなん( ´ ▽ ` )ノ」とツッコミをいれたくなる。

だから、はじめにもどるが、
    始皇帝 将死   
は単純未来などではない。「天」の命によって皇帝となったと同様に、
運命を司る天の意志によって、「死」を迎えようとしているのである。

   天将以夫子為木鐸   

「天は、まさに貴方様を天下の指導者にしようとしているのです。」

この文の主語が「天」であることが何よりの証左である。
 漢文の未来時制には、人間の意志未来と、天の意志未来がある、
と捉えておこう。東洋世界に、単純な未来などはないのだ。

posted by Kyuzen Ichikawa at 19:44| 閑綴帳

2016年04月30日

〈33〉キングダム、(・∀・)イイね!!

古中華人(いにしえちゅうかびと)の視ていた風景
 漢文を読むときに、時に大きく立ちはだかる問題が、
自然のスケールと人間の営みの差異である。
つまり、文の意味はわかっても、その景色がちがっている。
たとえば、
       有兵 守関 不得入    
  「兵ありて、関を守る。入るを得ず」
これが、日本の時代劇、たとえば水戸黄門に出てくるような
細い山道に材木で組んだような関所をイメージしてしまうのが
現和人のふつうの所作である。
 だから、関所破りをするには正面突破ではなく、
山賊がでるかもしれない道なき山道を通って山越えする
しかしながら、広大な中華平原には、そんな隠れみのとなる山などない。
日本にいて、日本の自然の風景の常識からこの文を想像すると、
ウソになる。ではどうするか?
それは、「百聞は一見に如かず」である。

この事情は、日本の古文の学びについてもあてはまるが、
古文の世界をビジュアル的にしるための素材には、
『あさきゆめみし』を推めている。
私も受験生のときには、熟読(熟見)したものである。
そんな受験生向き教材が漢文でもないかなと。
そこで二つばかり紹介したい。
一つは、「墨攻」。漫画としての作者は和人であるが、
日中合作で2006年に映画化されたものである。
原作もよいが、映画の方がビジュアルとしてはすぐれている。
平原の中に、城壁に取り込まれた小国が舞台である。
これなどをみると、上の文の様子が浮かぶようになる。
和人が想像する「関所」など吹き飛んでしまう。

もう一つは、「キングダム」である。
秦の建国にいたるまでの超大河マンガである。
NHKによってアニメ化・放送されている。
読み出すと20巻くらいまで止まらないので
高校二年生までにしか進めないが、
漢文世界を知るには格好の素材かと思う。
それもこれも「漢文をなぜ学ぶのか」という問いにつながる。

ちなみに、「進撃の巨人」の舞台も城壁に囲まれており、
絵も上手いので参考にはなるが、別のインパクトが強いので、
その点に注目する人は中々いないだろう。だから、
これを授業で紹介するときは、静止画をみせることにしている。
posted by Kyuzen Ichikawa at 00:00| 閑綴帳

2016年03月30日

〈32〉サンセイの反対

サンセイの反対は何なのだ?
 こういうタイトルをふると、それはバカボンのパパのセリフだろ!?と
ピンと来てしまう読者層もいらっしゃることと思う。
でも、さすがに漢文のエリアなので、バカボンのパパの話ではない。
前回から引き続き、化学の中の漢字というテーマである。
「酸性の反対」は何か? 
「そりゃ、アルカリ性だろ?」・・・・・・いやいや、漢字ネタですよ。
そもそも「アルカリ」ってアラビア語由来ということはご存知だろうか?
『体系化学』の読者なら語源を知っているはず。この形容詞形が alkalineだ。

「だったら塩基性だ!!」・・・・・・イヤイヤ、それも違う。
これは英語の‘basic’の訳語なのだ。塩基はsalt base 。
酸性は‘acid’=「酸っぱい」から来ている。その反対語が‘basic’とは、
英語系用語には論理性が欠如したものが少なくないがその一例である。
‘acid’という「味」でくるなら、アルカリ性も味で表現するのが対等性である。
あくまでも漢文のテリトリーなので、漢字での表現が追求したいところ。

酸が「酸っぱい」ならアルカリは・・・・・・「苦い」と答えたGHS生がいた。
その通り。アルカリの味は「苦い」で一応よかろう。
肥料に「苦土石灰」というのがある。「苦土」とは苦い粉末ということ。
ただし、「苦土」は酸化マグネシウムのこと。
だから豆腐を作るときに加えるものを「ニガリ」というがこれは塩化マグネシウムである。
だから、苦いはマグネシウムの味にすぎない。液体は「苦汁」という。
(くれぐれも苦渋とまちがえないように・・・・)
でも酸だって、酸っぱいで済まないものがあるのだから、
そもそも味なんて主観的なものは、化学用語にすべきではないのだ。

そこでようやく、「酸性」の反対の答えだが・・・・・・

セッケンの話
 セッケンを漢字で書ける人はそういないだろう。
「石」と書く。いや漢文的には旧字体で「石」と書きたい。
最近は、化学でも教育的な漢字制限とやらのせいで、「稀ガス」が「希ガス」となるだけでなく、
「セッケン」とカタカナで書いたり、「けん化」などと実にみっともない書き方をする。
この「鹼」とは何か?これが「アルカリ」という意味の漢字である。

肉を火であぶって焼くと、脂がしたたり落ちる。下には燃やした木々の灰が残る。
アルカリとはアラビア語で ‘ the ash (ザ・灰) ’というような意味である。
有機物中の、Na,K,Caが灰の中に酸化物として残る。これを水に溶かしたものが
「灰汁」であるが、これがアルカリ水溶液の昔の言い方である。

脂と灰(アルカリ)が混ざると、けん化が起こりセッケンができる。
市販のセッケンは天然やし油を今日アルカリで加水分解してつくるが、
とりあえずどんな脂や油でも、セッケンはできるのだ。

脂と灰とを混ぜて固めるので、「石」鹸なのである。

そこで結論。「酸性」の反対は「鹼性」と書くのが漢字としては正しい。
「鹼性電池」とは現代中国語で「アルカリ電池」のことだ。
しかし、やはり教育的配慮による漢字制限のせいで、
アルカリ性とか塩基性とかいうネジれた表現を学ばされるのが今の受験生ということになる。
posted by Kyuzen Ichikawa at 22:59| 漢字の由来と派生