2015年09月04日

〈27〉「断髪令」の経緯に思うこと

 最近はテレビ番組がつまらないので見る機会が少なくなっているのだが、先日、サッカー中継のながれだったか、何気なくチャンネルを変えていたら、NHKで面白い話をやっていたので、久しぶりに最後までみた。日本の歴史をトピック的にとりあげた番組である。

 通称「断髪令」(正式には「散髪脱刀令」という)は、明治4年8月9日に出された。明治になって四年も経っても、伝統的なの丁髷(チョンマゲ)頭の方が「ふつう」であり、ザンギリ頭にするにはまだ心理的な抵抗があり、未だ普及していないことを時の政府は問題視し、法律で規制しようとまでしたわけである。いいかえれば、それまではどちらでもその人の自由であった。

ところが、政府の要職に公家出身の岩倉具視は、明治4年11月に渡米した使節団を率いた際にも、髷(公家なのでチョンマゲではないが)を結ったままだった。和の伝統の中に生きてきた誇り高き和人として訪米したわけであるが、その途上で、西洋人からの好奇な視線にさらされていることを知り、シカゴで散髪をしたという。

 ここを契機として宮中では追随するものが続出し(なんといってもあの岩倉様が髷をやめたのであるから)やがて、明治6年3月には明治天皇も散髪を行ったことから、これに従う者が増えていったという。

 いまでは当たり前の髪型が、1000数百年の伝統をもつ髷姿から「西洋かぶれ」のザンギリ頭に切り替えることが、「ふつう」になるまで、こんなにもの歳月と「お手本」とが必要だったわけである。ところが、明治6年3月には福井県では、断髪令に反対する3万人が散髪・洋装の撤廃を要求した一揆が発生し、6人が騒乱罪で死刑となる事態まで発展した。それほどに伝統を壊すこと、180度転換することは、個人的にはともかく、社会的レベルでは難事であることがよくわかる事例である。

 欧語ではふつうの文法解析も、訓読の伝統世界の人の目には、ザンギリ頭にみえるにちがいない。私は直接には知らないが、『漢文解析』を読みかじったレベルの感想の中に、「いかにも英語畑の人が書きそうな内容」というのがあるとある生徒が教えてくれた。「まったく的外れですね、まじめに読んでないですね」という意見付きで。きっとその方の頭には「髷」があるのだろう、そして「あれは西洋かぶれのザンギリ頭だよ」と嘯いているわけだ。

 訓読法については、明治期に法律で規格化がなされたっきり現在に至るのであるが、これを「ザンギリ頭」に180度転換しようなどとは、少なくとも私は思っていない。和洋折衷で結構ではないか。欧語の文法を知らなかった古和人に、関係詞だの第五文型だのを求めても詮なきことである。そこらを補って、漢文の読解法を完成に近づけることが必要であし、そうやって学びたい人だけ、求める人だけが本書に学べば良い。番組で紹介された、明治初期の東京日本橋の錦絵には、ザンギリ頭とチョンマゲ頭の人たちが往来していた。「文明開化」のためには、それは問題視されるべきことであったが、漢文解析はハイブリッドであることこそがきわめて有用だと思うのである。そして、ここが『漢文句法基礎ドリル』の立ち位置となっている。

posted by Kyuzen Ichikawa at 08:51| 閑綴帳