2016年05月30日

〈34〉「将」という時制

単純未来と意志未来
漢文の時制、とくに未来時制について考えてみたい。
その代表はである。「まさに……とす」
ご存知のように、英語には、単純未来と意志未来があると教わる。
ならば、たとえば、
  始皇帝 将死    
はどうであろうか?
「自分の意志で死んでいくわけではないから、単純未来かな?」
答えは否である。「意志未来」である。
もっとも、漢文的「意志未来」であるが。

いや、そもそも英語の「単純未来」ってなんだよ!!と
素朴な疑問をかつて抱いたことはなかったかな?
「意志未来」の反対語は「無意志未来」であるはず。
「意志」の反対がなぜ「単純」か? 
    It will be fine.
のような自然現象は人間の意志と関係ないから、
「意志なるものは介在しない」という含意で「単純未来」と
いうのであろう。
いや、これは東洋と西洋の大きなちがいが背景にある。
そこに気づくのが漢文の学びである。
西洋にキリスト教の神は全知全能なれども、
天気ごとき瑣末な自然現象をいちいちコントロールはしない。
創造主は、理性が支配する、合法則的な宇宙を作り上げたのちは、
その法則にしたがって、自然は動き続けるのである。

ところが、和人は、明日の遠足にもてるてる坊主をつくる。
雨乞いの名残りで、お祈りをすれば雨が降ることもありうる、
千変万化な自然の中にいるからこそ、意味をなす行為である。
端的には、サハラ砂漠で雨乞いをしても笑止ということだ。
そういう気候なのだから、祈りは無駄なのである。
西洋で有効なのは、むしろ日食や月食の予言者の方である。

東洋の、そして日本の神々は、生活のあらゆる場面を支配する
意志をもつ。だから、受験生は学問の神様とやらにお守りをもらい、
小さい子供でさえ、迷ったときには
「どちらにしようかな、天の神様のいうとおり・・・」
とやる。ウチの娘がどらちのシャンプーを使うかごときで「神様」に聞く。
「そんなことをいちいち聞きとどけて判定しているとすりゃ、
こりゃ神様も忙しくてたまらなん( ´ ▽ ` )ノ」とツッコミをいれたくなる。

だから、はじめにもどるが、
    始皇帝 将死   
は単純未来などではない。「天」の命によって皇帝となったと同様に、
運命を司る天の意志によって、「死」を迎えようとしているのである。

   天将以夫子為木鐸   

「天は、まさに貴方様を天下の指導者にしようとしているのです。」

この文の主語が「天」であることが何よりの証左である。
 漢文の未来時制には、人間の意志未来と、天の意志未来がある、
と捉えておこう。東洋世界に、単純な未来などはないのだ。

posted by Kyuzen Ichikawa at 19:44| 閑綴帳