2018年06月05日

〈47〉『漢文法基礎・演習ドリル 』による授業

七夜巡りしアラジンは...
 『漢文法基礎・演習ドリル』から始まった、テキスト大改訂祭り(?)は
体系物理テキストver.5をもってようやくに終着[体系化学ブログ参照]、ここに戻ってきた。

そしてすでに4月の開講からかぞえて7回の授業があった。
演習ドリルは5「置き字」まで終了しており、
次回は「再読文字」の文法的再分配へとすすむ。

あえてそもそもから説く必要はないと思うが、「再読文字」ほど、
文法論から言えばフシギで不要で有害な存在はないはずなのに、
今まで誰もがそれを疑わなかった。それがもっとフシギだ。

「再読文字」というのは漢文の古和語への「訳し方」である。
漢文そのものの解析から離れて、
自国語への訳し方を基準にして分類すると文法的視点は消滅する。
漢文解析の読者受験生には、今更改めていうまでもないだろうが、
そうでない読者のために、端的な例を二つあげれば・・・・・・、

助動詞の(≒will)や(≒must,should)や(≒may)などは、
「まさに・・・す」「まさに・・・べし」「よろしく・・・べし」
と再読するのに、助動詞(≒can)は、「よく・・」+(す)と副詞部分だけの訓読であるため
再読文字には入れられていない。しかも否定になると不能=「あたはず」と読み方がかわる。
「おいおい、それは本当かい?」漢文は知らずして英語にかかわる人はいう。
これは文法論とか言語論とかいう前に、ふつうに考えても異常なことだ。
だってwill,must,mayとcanが別々の箇所に置かれている英文法書があったら
それだけで信用をなくすのではないかな?

もうひとつ、=「なほ・・・ごとし」という再読文字がある。
同等比較ないし比喩表現である。
ならば、如・若=「・・・ごとし」と同じところで説明するのが筋ではないのか?
なぜなら、改めて言うが「二回読む」というのは翻訳上の違いであり、
文法的な品詞分類ではないからである。


「再読文字」という枠は、文法的には一緒にできないものが、
古和文への翻訳テクニックという観点から寄せ集められた場所ですから、
漢文の系統的な学びを目指すならば、解体されるべき項目といえます。
したがって、時制助動詞、推定判断助動詞等々として独立分離するとともに、
そこから外されていた仲間を招集し、しかるべき位置に戻してやる必要があります。    
                    『漢文法基礎ドリル』p.42より


posted by Kyuzen Ichikawa at 13:06| 閑綴帳