2016年08月24日

〈36〉「学問の自由は、これを保障する」

主語と述語を巡って
 日本国憲法の第23条には、「学問の自由は、これを保障する」とある。
それでは、
   学問の自由は、これを保障する。
という文の主語はなんだろうか?という問いを立ててみよう。
 そう、主語は「学問の自由は」であり、述語は「保障する」である。
10人中9.9人(プロレスでいう2.9カウントみたいな)はこう応えるものである。
それは、中学時代に学ばされる国文法の名残りであろうし、
その枠にとどまっている限り正しい捉え方である。
 しかし、その枠から一歩出ると、それでは「漢文」の文法解析が
できないことに気づくべきである。
「・・・は」「・・・が」がつけば主語という単純な図式は、漢文には通用しない。
そんな格助詞は漢文には元々ついていないからである。
 人間としての認識構造から問いかければ、「保障する」の主語は、「国家」である。
それが「学問の自由」を「保障する」のであるから、SVOの第3文型である。
ただし、学問の自由がここのテーマであり、それを強調したいので、目的語を先置し
   学問自由保障之也
とするのである。
 漢文の例でいえば、
   時難得 而易失  「時は得難く、失い易し」
 英語でも  Time is difficult to get ,but easy to lose.
という同義的表現はあるが、これは
 It is difficult to get time,but it is easy to lose it.
を簡易化したものである。いずれも主語は「時」ではない。

かくして、目的語を強調するために OV+仮目的語 という順にならんだ漢文訓読調が
そのまま日本国憲法の条文に使われているわけである。

そこで、いいたいことは二つ。
一つは、「・・・は」「・・・が」がつけば主語とは限らないということ。
今一つは、「述語」という曖昧な文法用語が、この事実を覆い隠すに
一役買っているのを再発見すること。
 述語なんていう言い方は、認識構造としての文型把握を邪魔する存在でしかない・・・・・・
と気づけば、漢文の文法解析がまた愉しくなるものだ。

 ちなみに、
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第29条 財産権は、これを侵してはならない。
・・・・・・
などもある。
posted by Kyuzen Ichikawa at 22:52| 漢文法補筆

2016年01月04日

〈30〉「明けましておめでとう」の文法

 謹賀新年
 今年は息子が高校入試を迎えるため、どこにも出掛けず、年末年始をほぼ自宅で過ごした。
書類やデータの整理とか片付けが異常に進んだのが収穫であった。
さて、本年は上の「謹賀新年」の文法解析はどうなるかという問題から始めよう。

文型は? これは第3文型である。どれが動詞かわかるだろうか?
現和人には案外難しい。=celebrate「祝う」という他動詞である。
「加」が音「ガ」を表し、「貝」が祝いの品物の意とされる。
二文字並べて、「祝賀」を想起すれば理解はたやすいが、「賀」からは動詞の役割が
失せてしまっているのである。は副詞であり訓読では「つつしんで」となる。
    副詞+V3+0
という並びである。もちろん、主語は発信者ないし一般人称にて省略である。
・・・・・・だから祝賀会というのは「祝いに祝う会」という意味になるわけだ。
そういえば、古賀さんとか大賀さんという中学時代の知り合いがいたが、
大賀さんって実にめでたい名前だったんだ、と今更ながら思ったりする。
もちろん「賀正」もこれと同じ第3文型の省略形態であることがわかるだろう。

では「謹しんで」という訓読はどういう意味だろうか。
現和語ではふつう「慎んで」と書くことからわかるように、
動詞として「慎重に、丁重に、用心して、厳格に扱う」様をいう。
ここから副詞に転じて、「丁重さ、謙虚さ」の気持ちを表すようになったようだ。
さてさて、そうすると「年賀状」は文法的に捉えかえすと、
「賀年状」という方が正しいのかもしれないなどなど思いつつ
年賀状の返信を書いている。
信州にしては例年にない、実に温暖な正月である。
posted by Kyuzen Ichikawa at 08:24| 漢文法補筆