2015年12月24日

〈29〉カーネルパニックの顛末

 実は10月以来、HPの更新ができなくなっていたのである。
愛用のmac book airを新幹線の中で使っていたが、突然に画面が怪しい表示になった。
出先だったので、携帯でガンバって調べてみると「カーネルパニック」の画面とわかった。

そこから一ヶ月後、新規に買っておいたをmac book air新型を立ち上げるまで、、
様々に格闘して、あらゆる復旧を試みて、どうしようもなくてデータ復旧専門店に頼むと、
HDの致命的損傷とのこと。
・・・まあ、ようやくにして、元の環境にもどったわけであるが、
元のバソコンが廃棄処分となったために、欠落したことが一つあった。
このHPを作るソフトの認証解除ができていないのであるがどうしようもない。
つまり、新規のパソコンにはイントスールできない状態に陥ってしまった。

まあ、そんなこんなで、年末に向けての多忙に紛れて今に至ったわけである。
なんとかこのBlogだけは動くようになったのであるが、本体は現状では更新できない。
GHSのパソコンなら、同じソフトを入れてあるのでファイルを持ち込めば更新は可能なのであるが、
GHSに出講した時にそういうことをしている暇はないのが現実である。

そういう経緯もあり、本HPはGHSのHPにBlogをメインとする形で統合し、
それ以外は、GHSのテキスト・メソッドの紹介のコーナーでつづけていくことにしようと思う。
来年、一月一杯で移行する予定である。読者諸氏にはご理解をお願いしたい。
posted by Kyuzen Ichikawa at 10:31| 閑綴帳

2015年11月24日

〈28〉 育文社、終幕す

 『医大受験』の終刊につづき、残念なお知らせをしなければならない。
それは、育文社がこの12月で74年の歴史に幕を降ろしたからである。
その話は、『体系化学』Blogにも記載があるので、おおまかな事情などは
そちらなどを参照していただくとして、『漢文解析』に関わることを述べよう。

『医大受験』16号最終刊は、市販されず定期購読者に進呈という形になったので、
読まれていない方も多いはず。そこには、以下のような連載がしてある。
pdfファイルを貼り付けておくので、自由に読んでほしい。
      医験vol.16.10-漢文.pdf
ただし、紙面の都合上、ページが逆順となっている点はご容赦願いたい。
ここでは、「漢文基礎句法ドリル」(1)と題して書いたものである。
終刊号に初回連載を載せるという「天邪鬼」的趣向である。
今後は、現役高校生が漢文を学ぶにはどうしたらよいか、というテーマに向かって
この連載のつづきが、GHSでの講義をくぐらせながら綴られていくことになろう。

遺憾ながら、当然ながら『漢文解析』は育文社が閉じるに伴い、市場に供給されなくなる。
まだ在庫は若干あるようであり、その後の購入はGHSでも可能なように
しかるべき窓口を設けることになるだろう。
本HPも、GHSのHPと統合され、その中のコーナーで、テキストの紹介・展開・購入(?)という形で、
続くことにしようと考えている。

それは残念至極ではあるが、漢文の文法に関しては、『漢文解析』でほぼ尽きており、
それと『医大受験』に連載した、東大入試漢文を含む解析例のストックで、
入試のための教材としては必要十分と思われる。
それゆえ、今後は、そこに至るまでの道を高校生に向けて発信することにした次第である。
posted by Kyuzen Ichikawa at 20:29| 閑綴帳

2015年09月04日

〈27〉「断髪令」の経緯に思うこと

 最近はテレビ番組がつまらないので見る機会が少なくなっているのだが、先日、サッカー中継のながれだったか、何気なくチャンネルを変えていたら、NHKで面白い話をやっていたので、久しぶりに最後までみた。日本の歴史をトピック的にとりあげた番組である。

 通称「断髪令」(正式には「散髪脱刀令」という)は、明治4年8月9日に出された。明治になって四年も経っても、伝統的なの丁髷(チョンマゲ)頭の方が「ふつう」であり、ザンギリ頭にするにはまだ心理的な抵抗があり、未だ普及していないことを時の政府は問題視し、法律で規制しようとまでしたわけである。いいかえれば、それまではどちらでもその人の自由であった。

ところが、政府の要職に公家出身の岩倉具視は、明治4年11月に渡米した使節団を率いた際にも、髷(公家なのでチョンマゲではないが)を結ったままだった。和の伝統の中に生きてきた誇り高き和人として訪米したわけであるが、その途上で、西洋人からの好奇な視線にさらされていることを知り、シカゴで散髪をしたという。

 ここを契機として宮中では追随するものが続出し(なんといってもあの岩倉様が髷をやめたのであるから)やがて、明治6年3月には明治天皇も散髪を行ったことから、これに従う者が増えていったという。

 いまでは当たり前の髪型が、1000数百年の伝統をもつ髷姿から「西洋かぶれ」のザンギリ頭に切り替えることが、「ふつう」になるまで、こんなにもの歳月と「お手本」とが必要だったわけである。ところが、明治6年3月には福井県では、断髪令に反対する3万人が散髪・洋装の撤廃を要求した一揆が発生し、6人が騒乱罪で死刑となる事態まで発展した。それほどに伝統を壊すこと、180度転換することは、個人的にはともかく、社会的レベルでは難事であることがよくわかる事例である。

 欧語ではふつうの文法解析も、訓読の伝統世界の人の目には、ザンギリ頭にみえるにちがいない。私は直接には知らないが、『漢文解析』を読みかじったレベルの感想の中に、「いかにも英語畑の人が書きそうな内容」というのがあるとある生徒が教えてくれた。「まったく的外れですね、まじめに読んでないですね」という意見付きで。きっとその方の頭には「髷」があるのだろう、そして「あれは西洋かぶれのザンギリ頭だよ」と嘯いているわけだ。

 訓読法については、明治期に法律で規格化がなされたっきり現在に至るのであるが、これを「ザンギリ頭」に180度転換しようなどとは、少なくとも私は思っていない。和洋折衷で結構ではないか。欧語の文法を知らなかった古和人に、関係詞だの第五文型だのを求めても詮なきことである。そこらを補って、漢文の読解法を完成に近づけることが必要であし、そうやって学びたい人だけ、求める人だけが本書に学べば良い。番組で紹介された、明治初期の東京日本橋の錦絵には、ザンギリ頭とチョンマゲ頭の人たちが往来していた。「文明開化」のためには、それは問題視されるべきことであったが、漢文解析はハイブリッドであることこそがきわめて有用だと思うのである。そして、ここが『漢文句法基礎ドリル』の立ち位置となっている。

posted by Kyuzen Ichikawa at 08:51| 閑綴帳

2015年08月24日

〈26〉『漢文解析』事始

前回、8/20頃の『医大受験』最終号がでると書いたが、
そんなお盆明けに出るわけがなく、(出版社は印刷会社にあわせてしっかり1週間の夏休みだ)、
それは校了締め切りであった。9月20日頃にでるらしい。
ただし、今回は書店には並ばないとのこと。つまり市販されず、これまでの定期読者等に
感謝号として送呈するらしい。アマゾンで売るのかどうかは私にはわからない。
いずれにせよ、これまで書店で購入していただいている方は、
育文社に直接問い合わせることがよいと思う。

 前回記したとおり、連載稿は、‘ 第1回・漢文句法基礎ドリル ’ で締める形とした。
その「元々」の話をしよう。
 実は、『漢文解析』の元となったGHSテキストには、出版にあたって割愛した部分がある。
その一つは、原板にあった最終章「般若心経・文法解析」という、バチあたり(?)な企画で、
要するに、今でも和人に売れている漢文はと感考えて、孫子かどちらかだということから
とりあえず全体が短い「般若心経」をまずはセレクトしたのだった。
もともと、大人向け、ビジネスマン向けの漢文読み物という企画からはじまった本書であったから
なのだが、GHSのテキストとなり、学参という方向に舵を切ることになってお蔵入りとなった。

 もう一つは、第3章以降についていた「練習問題」である。
当初、入手可能な漢文教科書とGHSにあった幾つかの問題集等から漢文のサンプルを拾い上げて、項目ごとに句法・句形についての文法解析練習の例文を数個ならべたものである。授業テキストであるから、解答解説はなかった。授業の素材であるから。
 ところが、出版の段になって、それを含めて解説を入れると、さらにページが100ページ増えることとなり、そんな手間暇がかけられなかった(『体系化学』の時とは時間的環境がちがった)のとあわせて、だったらカットしようということになり、最終章は、センター試験過去問の解析に置き換わったわけである。そういう「原型」があるにはあったが、『漢文句法基礎ドリル』は、当初のそれを超えるものとなっている。

 『漢文解析』では、既存の形にとらわれない、斬新な、どこにもない展開を果たせたこともあり、今度は、伝統的・保守的な展開を踏襲しながら、同じ論理を説いていきたいと思った次第である。
・・・その分かりやすい人もいるし、そうしないと分からない人もいるし、また、現状では初学者・高校生には、いきなり『漢文解析』では前提が読み解きにくいからである。

 第1章の[1]は、「返り点」である。まずは「レ点」がどういう文型、品詞においてつかわれるかということから話がはじまり、上下点は、どういう構文に現れ、どうして中に一二点を挟むのかということを解く。
 だれもありたまえと思っていることではあるが、それは自然物ではなく、人工的なものであり、
ということはそれを作った人がいるということであり、そこには目的とルールがあるはずなのであるが、その初心が忘れ去られて、「そういうもんだ」として通用しているものが多々ある。
誰もふれようとしない、誰も問題としないことに踏み分け、道をつくること、その愉しさをともに
できる「人」が、声を寄せてくれるかぎりは、この歩みがつづくことだろう。
posted by Kyuzen Ichikawa at 22:33| 閑綴帳

2015年06月23日

〈25〉サヨナラ!!『医大受験』

季刊『医大受験』は16号にて終刊とな!
 すでにご存知の向きもあるであろうが、育文社の方から知らせがあり、
丸四年にわたって漢文講義を連載してきた『医大受験』が次回16号をもって
終刊となることになった。背景の事情は複雑に絡んでいるようであるが、
それはともかくとして、確実にいえるのは、「時代の変化」である。
それは、昨年の代ゼミの大規模リストラが象徴するように、
従来一般的だった受験ビジネスモデルほどに、時代の変化に即応できにくく
なっているということである。と同時に,新聞の購読者数が減少していることが
代表しているように、紙媒体を通しての広告が広告としての機能を果たせなくなってきた、
それとおなじことは、(まだマシかもしれないが)テレビのCMも同様の傾向にある。

『医大受験』の創刊の4年前は、そうはいっても電子ブックも黎明期であり、
これほどにデジタル・ネット媒体が紙媒体をしのぐ勢いがある状勢ではなく、
紙の「現物」を手に取る重みを必要と思えたものであった。

と同時に、紙の現物の出版をするのは、手間ヒマがかかることが欠点でもある。
印刷してしまえば修正は利かず市場に出てしまうわけであるから、
誤植や誤解がないように、記述に問題がないように慎重の上にも慎重でなければならず、
編集部との校正のやりとりも3-4回に及ぶことがふつうであった。
そのために、同じ原稿をなんども読み返し、場合によっては別の校正者にも依頼し、
事前の意見・評価を積み重ねてのゴーサインとなる。

その点は、筆者にとっては利点もある。推敲を重ねる分、原稿としての精度は増すから、
十数回におよび、しっかりと過去問の文法解析がデータ化できたことは
今後の教材の蓄積として、とても意義深かったといえる。

終わりははじまり
 そこで第16回連載の内容は、「新シリーズ連載第1回」とした。
すでにHPで掲げてある、漢文句法基礎ドリルの§1-§3までの10ページ程度を掲載する。
内容は、二-一点、下-上点などがつくのはどういう文型・構文のときなのかというごく基本の
手ほどきである。例文は、教科書にあるようなよく知られたフレーズばかりである。

それをうけて、本HPないしは、GHSのHPにて、電子ブック形式での連載を継続する予定である。
修正・訂正が容易な分、原稿のやり取りの手間ヒマは軽減でき、すくなくとも月刊での更新したい。
会員制にするのか、まったくのフリーにするのか、他の科目との兼合いもあり、
具体的なあり方は検討中であるが、
8/20の16号発売を待って,二学期あたりから始動することになるだろう。
posted by Kyuzen Ichikawa at 10:30| 閑綴帳

2015年05月24日

〈24〉題して「漢文句法 基礎ドリル」

前回,以下のように述べた。
・・・今年度は、「漢文の授業らしく」やろうと準備をしている。
そのココロは、伝統的な「訓点・返り点」にはじまる市販の問題集をベースにして、
順番はそのままに、『漢文解析』のテイストで説いていく、というスタイルである。
 今手元には、三冊ばかり売れ筋と思われる句法練習の問題集を買ってある。
見事といいうる点は、著者も出版社も違うのであるが、構成がほぼ同じで、
  説明の仕方も横一線で区別がつかないという点である。・・・・
  『漢文解析』はそれを解体して独自の構成としたが、
  その「完結」を受けて、今度は旧来の流れのままで
似て非なるものとして説いていく予定である。

 その授業も3回目を終えた。テキストは、今年度からの新作書き下ろしである。
TOPページのメニューボタンに「句法復練帳」というのができているのに気づかれたかもしれない。
「読者沙竜」(=読者サロン)という企画を思いついて、ボタンをつくったものの、
読者の感想意見を紹介しながら、いろいろコメントして、またそれに意見を・・・
というのは一部ブログとかぶるし掲示板みたいに書き込み式でないといけないし、
すると管理するヒマがないし・・・・なんて思っていたらどうにも進まないので、
先送りにして、現在進行の内容をアップしするほうが速いとおもった次第である。
それは結局は、読者からの希望に応えたものでもあるし、
『医大受験』での連載完結後の提示の場となるからである。
とりあえず、今回は、「はしがき」だけ紹介したい。

はしがき

古代中国語で書かれた漢文は、和人にとって「外国語」です。そして、文法構造が大きく異なる漢文を読み解き、その中身を吸収するために、古和人が千年以上かけて磨き上げてきた翻訳技術が「訓読法」です。しかし、この技法は長らく各家の秘伝とされ、部外秘であり、様々な流派がありました。時代は下り、やがて儒学の奨励と普及によって、江戸時代中期以降には一般に広まるようになり、明治になってからは法律によって訓読の方法が統一・標準化されるにいたり、今、私たちが目にするのはこの「訓読法」です。

このような長い歴史をもつ訓読法ですから、現代日本語に溶け込んでいるものも多々あり、高校生の漢文入門にあたっては、この訓読法から入り、その伝導を受け継ぐことが有効であることは明らかです。

しかし一方、古和文に訳すための技術として発展したために、現和人にとっては、前提として「古文」の習得(昔の和人には不要でした)という遠回りが必要になります。また、英文法と相通じるところがある漢文法ですが、古和人が英文法を知らなかったゆえに理解できなかった前置詞や関係詞などがあり、文法的に見直した方がよい箇所があるのも事実ですから、訓読法を現代的な視点から捉え返して学ぶこともまた有効であり、むしろ必須といえるのです。

『思考訓練の場としての漢文解析』(2014育文社刊)ではそのベースとなる漢文法の新しい姿を提示しましたが、それは伝統的な漢文訓読法と句形・句法をすでに学んだ人にとっての再入門篇でした。

これに対して本書は、これから漢文を学び始める人を想定して、和人として誇るべき文化遺産たる訓読法から、漢文法へとつながるように学べるドリル形式の演習となっています。

誰もが知っている、教科書でも出会う有名な例文をもとに文法的に解析していきます。それを通して、我々の祖先が築き上げた訓読法のすごさ、すばらしさを改めて認識することにもなるはずです。


いずれ、メニューボタンからはいれば、テキストそのもののpdfファイルが直接ひらけるように
するつもりである。

posted by Kyuzen Ichikawa at 08:38| 閑綴帳

2015年04月24日

〈23〉「完結」ということ

漢文解析講義は「完結」へと向かう
 この間、しばらく空いたが、年度末初の色々(娘の入学式なんてのもあり…)に重なっての、
『医大受験』vol.15の原稿のやりとりがおわったばかり。
漢文解析講義は、前回書いた勢いで、今年のセンター試験の文法解析をしておいた。
一回で「完結」するようにと書いたら16ページに及んだ。
問題の4ページを除いても12ページの‘大作’である。
 センター試験漢文ごとき(?)にこれほどの字数を費やして解説しているものは他にはあるまい!
と言い切っていいんじゃないかな・・・。というのも、コンセプトはあくまでも、
その問題を解けるということにとどまらず、その問題を通して何を学かというものだからであり、
素材はセンター試験であろうと、二次試験のものであろうと関係はない。
 「大作」などといっても、100分の授業をすれば、この程度の内容は
板書し、しゃべるわけであって、文章化するから、ちと大変なだけである。

『医大受験』は次回で丸4年となる。センター試験の漢文解析例はすでに9つに達した。
次回でキリがいいから、漢文解析講義はこれで「完結」にしようと思っている。
上に述べた事からわかるように、ほぼ10回分のGHSでの授業を文章化して再現したのであるから、
もう十分であろうという気持ちである。おまけに、東大理系漢文の解析も4年分ある。
それにベースの講義としての『漢文解析』があれば、それはもう
独習が可能な素材を提供しえたといってよいのではないかと感じている。

「完結」へ向けての特講あり
そういう思いもあって、今回は、記事の中に「特別講義」として
二つのテーマに着いてこれまでの「まとめ」も書いておいた。
一つは、関係詞の用例と用法のすべて、もう一つは、の歴史的変遷についてである。
とくに後者は、現代中国語でのhaveに似た用法と、漢文での「存在する」という意味とを
つなぐロジックをはじめて展開したものである。
『漢文解析』では、入門編という位置づけやらページ数の関係などで、
割り切って簡潔化した部分もあり、読者から質問や意見があった部分である。
 時間的制約から、個人的には返信できていないので、該当される方は、
是非に今回の記事を参照していただくようにお願いしたい。

そしてそれとともに「市川久善」という存在もまた ‘完結’ へと向かうことになるだろう。
ご存知の向きもあるかと思われるが、私は漢文を生業とするものでもなく、
いわゆる漢文業界に関わるものではない。
私の個人的なものすぎない漢文の学びをここまで客観的データとして形にし提示できたこことで、
もう十二分であるとの思いがある。
その意味で、『漢文解析』に続編はないし、今後改訂もないことはここで明言しておきたい。

GHSでの講義はつづく
 だから、公な存在としての「市川久善」は、次回の『医大受験』とともに完結する
ということにしようと思っている。
とはいえ、GHSの国立志望の生徒がいる限りは、漢文の授業自体はつづくのであるが。
 ここまでは、講義と連載とが互いに補完し合うかたちで進めて来た。
授業での講義データが、連載原稿としての校正を通してブラッシュアップされ、
それが講義に反映されるという関係だ。
それも連載回数的に目処がついた段階で、新年度を迎えることとなった。
今年もGHSには文系も含めて10名を超す漢文受講者がいる。(注:全体で30数名である)

 そこで今年度は、「漢文の授業らしく」やろうと準備をしている。
そのココロは、伝統的な「訓点・返り点」にはじまる市販の問題集をベースにして、
順番はそのままに、『漢文解析』のテイストで説いていく、というスタイルである。
 今手元には、三冊ばかり売れ筋と思われる句法練習の問題集を買ってある。
見事といいうる点は、著者も出版社も違うのであるが、構成がほぼ同じで、説明の仕方も
横一線で区別がつかないという点である。
つまり、訓読法の教え方というものは「完結」しているということである。
やはり歴史と伝統(といっても訓読法が普及したのは江戸時代以降であり、
明治時代に法令で標準化がなされたにすぎないが・・・・とその一つに書いてあった)に、
孤高に立ち向かうより、大船にのった方が安心安全であり、
「文句あれば訓読の歴史に言え、ご先祖様にもの申せ!昔からそうなんだから、
私にいわれてもどうしようもないよ」というスタンスがとれるものだ。
 『漢文解析』はそれを解体して独自の構成としたが、
その「完結」を受けて、今度は旧来の流れのままで(その方がなじみはあるだろうし)
似て非なるものとして説いていく予定である。

ヤマトとハーローック
 ともに松本零士原作のアニメだが、それが人びとの共感と熱狂を生んだのは、
その共通項として「大きな敵に、たった1人で立ち向かう」ということにある。
ヤマトでは大ガミラス艦隊をヤマト一隻で撃破していくという、
現実には中々ありえない世界である。そういえばファーストガンダムもその線上にある。
また、1970年代にベストセラーとなった『かもめのジョナサン』も、
日常の当たり前を否定しての孤独なチャレンジがテーマであった。
中高を通しての愛読書であり原書でも親しんだものである。
 まあ、『漢文解析』ごときで孤高のヒーローを気取るつもりはさらさらないが、
誰も歩いていない道なき道を進むのは、そういう中で育った世代としては
何の抵抗もないし、むしろ愉しみを覚えるのは確かである。
「♪ 君が、気に入ったなら、この舟に乗れ ♫」と水木一郎が唄ってくれたように、
この旅をともに続けたいという仲間がいればそれで充分かなと思う此頃である。
posted by Kyuzen Ichikawa at 12:18| 閑綴帳

2015年03月21日

〈22〉今年のセンター試験によせて

信州の春
ここしばらく、早めの春休みをとり、受験の関係から距離を置いてみて、
HPのことなどもしばしあえてすっかり忘れて過ごした。
『医大受験』vol.14が2.20に出て、次回まで3ヶ月のインターバルもある。

何よりも信州にすんでいると、春の足音が本当に聞こえるのだから、
……日差しも、風も、空気の匂いも、また山の色も、木々の枝先もすべて
春に向けて動き出しているのを感じて、外にでる時間が増える。
スーパーの地野菜コーナーに並ぶ山菜が少しずつシフトしていく。
そろそろ野菜の種や苗をホームセンターに買いにいかねば・・・。
今年は、小学生になる娘が、家庭菜園の水やりお当番をしてくれるそうだし、
一緒に小学校に通う女子軍団(?)も収穫等に参加するそうだから、今年は植えるものも
ちょっと趣向をかえようか・・・・・・まあこんな平穏な信州の春をすごしている。

で、ぼちぼち新年度のことや、『医大受験』vol.15へと気持ちは向いている。
・・・というか、漢文だけはすでに原稿は9割方できている(^-^*)ノ
ちょっと時間があくと、こつこつ(≒だらだら)と書き重ねているのである。

センター試験漢文の想い出
次回は、今年のセンター試験の問題を解析することにした。
今までは過去問から「漢文らしいもの」掘り起こしてきたが、今年の出題は、
多くの点で、センター試験としては不適切だった昨年の反省もあるのだろう、
難易度はしっかりと考慮され、訓読と句形・句法をまじめにやっていればできるように
しっかり調整されている。むしろちょっと易しいかなというくらいヒントも語注もついている。

さらに、『漢文解析』に学べば、さらに見通しよく,迅速に、自信を持って
満点が取れるのはもちろんだ。その余裕と自信が、古文や現代文にもよい勢いをもたらす。
・・・・ちなみに、私はかつて、センター試験国語は、漢文からと決めていた。
当時は、4問で80分だったが、現代文はなるべくしっかり読みたいので、
漢文、古文をいかに早く解いて、時間を稼げるかということを懸命に模試で練習した。
ともに15分で解ければ、現代文や小説は25分ずつかけられるからである。
もっとも、早くても自信満々の満点でないと意味がない。
気になってもあとで見直すヒマなどはないのであるから。

「置き字」とやら
今年のセンター試験問題では、「置き字」が設問の対象となったのが痛快である。
矣、也、焉という3種類の文末「助字」の読みと意味を問うという、
訓読派からすればちょっと避けて通りたい問題である。
だって、「置き字」とは、書いてあるけど無視していいという扱いだから、
受験生としては、「だったら無視しよう」となる。なにせ何かと忙しいのだから。
しかし、『漢文解析』に説いたように、無視してよく何の意味もない漢字を
わざわざ書くわけがなかろう。意味があるから書くのだ、というのが
本来、当たり前の、素直に考えた時の思考のはずである。
それは誰もが漢文の学びの初歩に感じる疑問なのだが、どこにも答えがないし、
無視してよいということだから、ついには疑問に感じず、存在さえ無視して平気になる。
しかし、「王様は裸だ!」と叫ぶ子どもが実は正しかったように、
そういう疑問を結果的に圧殺していく教育は「どこかおかしい」と思わなければならない。
少なくとも、本物ではない。

その私なりの「解答」を『漢文解析』に書いた。誰に聞いたわけでも、
どこかの文献を参照したわけでもなく、
自分の語学的経験と思考力だけで出した「答え」である。
もちろん、私自身は、訓読の歴史なんぞにはまったくのシロウトだから・・・
(だからこそ『漢文解析』が書けたのだ! 漢文の世界の住人には色々と制約があって
色々なしがらみが気になってムリでしょう)
・・・この説がどういう位置どりなのかはわからないし、諸説に関心もないが、
自分のなかではこれ以上の「答え」はないと合点できているからそれでいいのである。
私は「理屈抜きに覚えなさい」という言い方が昔から大キライで、
それはセンセイ達の逃げ口上に響いた。
せめて「私も疑問に思うが、今は解決されてない」とでもいってもらえばよかった。
そんな沢山の持ち越して来た「漢文」の疑問の数々に、
ようやく自分で答えを出せるようになり、書となった。

センター試験の解説ごときに、雑誌サイズで10ページを費やすという、
まず「ありえない」連載だが、漢文にセンター用も東大用もない。
どんな文章からでも文法は学べるし、発展させる契機がある。
それを当然のように受け入れ、フルサイズで公開できる環境を提供してくれている
育文社編集部の度量もまた「ありがたい」。
posted by Kyuzen Ichikawa at 17:16| 閑綴帳

2015年02月14日

〈21〉あっぱれ、名大!!

 青色LED実用化の発端となった発見は、名古屋大学系の研究者によるものであった。
かつては「ノーベル賞といえば京大」という時代が長くつづいたが、ついに名古屋大学にも脚光が……
というような話ではない。さすがにそこから漢文のネタに強引にもっていくのはムリである。
たしかにノーベル賞もあっぱれなのであるが、実は漢文の視点からあっぱれ至極なことが名大にはある。

 2/20発売の『医大受験』の漢文の冒頭にも少しふれたのだが、ここで若干補足・敷衍しておきたい。なにが「あっぱれ」かというと、名古屋大学・医学部に合格するには、二次試験で国語が必須であり、なんと古文・漢文まで課している!!!!!!!という事実である。
 すでにご存知の方には「今更〜?!」とか言われるかもしれないが、さすがに東京新宿にあるGHSから名大医学部を志望する生徒はこれまでいなかったこともあり、(それでも京大は数名入っているが)
赤本などもなく、近年の動向の把握を怠っていたからである。
 配点比率自体は理数英に比して高くなく、理系への配慮でけっして重厚ではないが、
バリバリに正統派の記述式であり、まともな対策が必要である。
察するに「国語ができないヤツは来ないでほしい」というメッセージであろう。

 なんでも風の噂によると、京大あたりから漢文の問題をつくれる先生がやってきたのが始まりだそうで、ご存知のように京大も理系二次試験に現代文・古典を課す。
文系の二次試験にあの難度の数学を課すのだから当然のバランスであるが、なぜか古文だけで漢文はない。京大こそ漢文の伝統なら東大に負けじとあるのだから、わたしも昔からフシギだったのであるが、名大の漢文担当の先生には忸怩たる思いがあったのであろうか。

 さらなる風の噂によると、京大内でも、国語の点が高い理系の方が優秀だ、というデータがあるそうな。
出題にも採点にも手間のかかるあの記述式国語を全学部で実施し続けているのも、その労力を費やしてでも、学問のトップを担える人材を見いだしつづける必要があるからだ。
その試金石が「国語力」ということは、当然のことなのであるがいかんせん「常識」ではない。

 さて、「理系こそ国語力」という誰か(?)が力説していたが、その追い風が京都から尾張に吹いた。
かくして名大医学部の壁には漢文が立ちはだかる。〔ただし理学部は現代文だけとか。〕
・・・・もう少し深読みするとこうだ。医学部で漢文を課すのは東大だけ。理3は最難関。
するとそのボーターにある「準優秀」な人材は、古文・漢文の勉強をムダにしないためにも第二の選択肢として名大医学部を選ぶことになる・・・・・するとかつては東大理1に行ったような人材が名古屋大にやってくるわけである。人材確保戦略とみるならばこれもありである。
 実は、これには「実績」がある。というのは、私が東大を受験していた時代は、入試制度がグルグル猫の目状態で、ある年は、東大と京大が併願できたし・・・・
(その年、高校の担任が頼みもしないのに内申書を両方に書いてくれた。もちろん東大専願だったので受験せず、開けて中身をみてみた なぁv(* ̄ー ̄*) …)
ある年は東大と名古屋とが併願できたので、駿台市ヶ谷の同期には東大がだめで名大医に行った者がいた。その追跡調査データなども参考になっているかもしれない。

 つい、昔話になったが、かくして今や国立大学医学部に限ってみると、
二次試験で国語を課すのは、東大、京大、名大、そして山形大(現代文のみ)の四校である。
すでにGHS現代文の宮城先生が、名大の現代文をとりあげて解説しているが、
いずれ、『医大受験』でも名大漢文を素材として解析してみたいと思っている。
 国語力への評価、これが将来の天下取りを見据えた名大の「先見の明」であることを願いたい。
posted by Kyuzen Ichikawa at 21:21| 閑綴帳

2015年01月14日

〈20〉1割に「刺されば」良し

 新年となった。この年末年始は柄にもなく、沖縄で家族・友人と過ごしたおかげで、のんびりとして何も仕事はできながったが、心身ともに蓄積した疲労がウソのように解消した。やはり、信州と沖縄の気温20℃の差は予想以上に効くのだろう。
「柄にもなく」というのは、そもそも我が家は混雑や行列がきらいなので、こういう繁忙期に旅行などしたことがないのだが、近年、「本業」が暦通りに休む場所になったことと、中学生の息子の部活があり土日祝も家族で動けないため、こういう「画に描いたような」年末年始となった次第である。
 その勢いで、この一週間で、『医大受験』vol.14冬号の原稿を漢文を皮切りに次々に仕上げることができ、ようやくこちらに時間を割けているわけだ。

10人に1人に「刺さる」という話
 さて、表題は、『日経ビジネス』の2014.11.10の記事にあったものである。「企業研究」というシリーズものであるが、そこに文房具メーカーであるキングジムが紹介されてている。
一風変わったデジタル機器やアイデア文具を次々にヒットさせているその内情にせまるものであったがこれが実に興味深い。
 IT・OA化の進展にともなって従来の主力であった紙のファイル売れなくなり経営縮小に追い込まれつつあったときの社内改革を象徴する言葉である。
 実際、13人の役員の一人以外が「ぜったい売れない」と反対した「ポメラ」という商品が、30万台のヒットとなったことを契機に、社長が過去の成功にとらわれた発想を駆逐して、社員一人一人が主役となれる提案型の創造的な社風をつくっていく話である。その社長の言葉には真実味がある。
「売れないと思っても、10人に1人が絶賛してくれるなら作る価値がある。」
「(開発会議の長である自分が)欲しいと思う商品は正直なところ数ヶ月に1個あるかないか。他の参加者も同じだが、心に刺さる1個はそれぞれ違う。日本国民の1割に当たる1200万人がどれかを欲しいと思ってくれたら、それはもう、すごいことでしょ。」
「売れないのではと心配しながら開発すると、いつの間にか無難な改良品ばかりになります。着実なニーズをすくい取る方が、新しいモノを生み出すより簡単だからです。」
文具の大手企業であるコクヨからすれば、売り上げは10分の1程度の中堅企業だから、だからこそできるこの「改革の精神」に学ぶべきことは多い。

試算してみる
 GHS予備校も大手からすると、比べ物にならないくらいの規模であり、生徒の総人数も浪人生は30数人ほどにしかならないが、だからこそ行き方は違っていいし、そうあるべきである。
ちょっとばかり試算してみると、2014年度の大学志願者数は66万人、そのうちセンター試験の国語の受験者は50万人である。
 すると、年間に仮にその100人に1人が『漢文解析』に共鳴・熱狂したとしても5000人にもなる。万が一これがGHSに押しかけたらかえって迷惑・混乱であろう。
だから、1000人に1人で十分か?いや500人でもキャパを越える。まあ、そのうち10人に1人が実際にGHSの門を叩いてくれれば、それで『漢文解析』の一つの目的は成就するわけである。共鳴できなければ他の選択肢は沢山あるのだから、よそに行けばよいだけだ。
 村田塾長が、すべての生徒に目が届くための、教育的観点からする「30人」という定員である。その少ない枠は、できるなら、GHSのメソッドに共鳴して、感激して、道を求める若人であってほしい。
 実際、GHSに来る前に『医大受験』や『体系化学』を知っていた生徒の伸びは凄まじく、1年後には高校の進路指導の先生(「君は二年かかっても医学部はムリ」という太鼓判を押していたりする)が、仰天!腰を抜かすというエピソードには、最近慣れ飽きてきたほどである。
 ちなみに、『体系化学』の読者であった今年の生徒のN君は、『漢文解析』にもまた鋭く共鳴して授業を楽しんでくれている。彼にとってはもはや「自家薬籠中」の域に入っていて、「自分文法」を把持して漢文を読解できる境地にある。
 著者としては、そういう生徒が年に10人もいればすごいな、きっと楽しいな・・・くらいに思っている。

一般読者の方へ
 そんなコンセプトで世に出した『漢文解析』なので、すでに受験生でない・批評好きな大人がかれこれ言っても意に介さないし、そんな閑もないし、双方に益も無い。レストランの子供用のイスが小さすぎると文句いう大人はいないし、飛行機のシートが狭すぎるとクレームをつける力士もいない。そういうものだと知っているからだ。
 大人となって久しい方には、ぜひともかつての「漢文苦民」であったころの青春時代を思い出して読んで欲しいし、これからの若人に向けてその経験を発信してほしいと願うものである。

 キングジムの開発者(30代)の社員がいうには、市場調査とかはやらないそうだ。従来にない商品を市場調査から得ようとすると、かえって「欲しい人」の声がかき消されるから、と。
posted by Kyuzen Ichikawa at 12:25| 閑綴帳